像の前 太郎と巣寺

イルカ像の前には誰もいない。街のほうからベルの音が聞こえるし、

皆巡回を見に行っているのだろう。いや、像の瞑想を妨げる者が一人

やってくる。女らしい細い腕に大きな荷物を抱えているが苦ではない様子。

嬉しそうにしながら始終後ろを気にしているが、あるとき荷物を道に放り投げて像の後ろに隠れる。

まもなくしてその恋人が現れる。荷物を見つける。

太郎 ステラ。そこなのか、ステラ!僕のステラ!!

巣寺 (像の影から飛び出して)ここよタロー!

太郎 ウワァァァァァァァ!!(驚いて倒れる)

巣寺 タロー!!しっかりして、ねえ。嘘でしょ。私を不安にさせるのはやめて!

こんなつもりじゃなかったのよ。

太郎 (起き上がる)ステラ!(抱擁を交わしながら)君が物取りに浚われたのかと、

僕は今本気で心配したんだよ。荷物だけ置いてあるんだもの!

巣寺 ああ、ごめんなさい。ちょっとあなたを驚かせようとしただけなの。

この荷物も、目印に置いたのよ。気づかずに通り過ぎてしまったらあまりにも

悲しいから。でも、あなただってあんまりだわ。私本当に・・

太郎 ウッ(倒れる)

巣寺 (悲鳴を上げて倒れる)

太郎 ステラ?冗談だよ。悪かった!

巣寺 (笑いながら)もうお互い驚かすのはなしにしましょう。

太郎 ああ、おかげで服が……。まいったな。

二人、お互いを小突きあう。ひと段落してステラ。

巣寺 どうしてここへ?

太郎 君がばあさんの手伝いで広場まで行くって、エリスに聞いたんだ。

君こそ、どうして僕が来るのがわかったんだ?

巣寺 車道を走っているのが見えたの。

太郎 車道を?それにしたって、走ってるのは僕だけじゃなかったろう。

巡回を先回りしようと、根性のあるヤジとかウマがウヨウヨいたぜ。

本当に、この年になると毎回毎回よく飽きもせず――

巣寺 本当にそうね。でも、その真っ赤な帽子はすぐわかったわ。

真夜中だって目立つもの。

太郎 よしてくれ、君までからかうつもりか。

巣寺 素敵な帽子じゃない。ねえ、あのことはもう話したの?

太郎 まだだよ……。

巣寺 私から兄に話したっていいのよ。

なにも、それで悪いことなんて一つもないでしょう。

太郎 いや、別に僕が臆病になっているわけじゃないんだ。

むしろ相手がどんなふうに言ってくるか、……ねえ、

つまり僕たちのことを、ゲルデンは賛成してくれるだろうか。

巣寺 兄さんが私たちの関係を知ったとき、どんな風に喜んでいたか

知らないんでしょう!感激して涙まで流すもんだから、そう、

滝みたいに泣き出して、家が水没するかと思ったのよ。大げさに聞こえるかも

しれないけれどそのときは本当にそう思ったんだから。

太郎 その話はもう何度も聞いたよ。ねえ、でも急ぐことはないんじゃないかな。

式の直前じゃさすがに遅すぎるけど。

巣寺 遅すぎるなんて事があるもんですか!そうよ、そうしましょう。

式の直前に言って驚かすの。兄ならきっとわかってくれるわ。

太郎 わかった。うん。

巣寺 本当!?それじゃあこうしましょう、私が兄の部屋にこっそり花束を――

太郎 それはいいけど、ステラ、さっきみたいなことはもう勘弁してくれよ。

物取りは何を取るかわかったもんじゃない。

巣寺 ええ、こんどから隠れるときは荷物に置手紙を添えて隠れることにする。

ああ、タロー。私この荷物を広場へ届けなきゃいけないことすっかり忘れてた!

太郎 手伝うよ。そのために来たんだ。

巣寺 見かけより軽いの。一人で大丈夫だから代わりの服を探してきたら?

(荷物を持ち上げるが、何か不思議な力が作用して地面から少しも離れない)

太郎 中身は?(荷物を持って)見かけよりずっと重い。

巣寺 巡回に使うベル。(中から一つを取り出して鳴らす)

太郎 あのベル?信じられないな。音も違って聞こえる。

巣寺 (もう一度鳴らす)そうかしら。何百個もいっぺんに鳴るから。

二人は広場へ歩いていく。ベルの音がふいに大きくなる。

巣寺 ねえ、後で巡回を見に行かない?近くまで来てるみたい。

太郎 僕はこの荷物を届けるから、先に行っておいでよ。

多分金切り塔のあたりで騒いでるんだ。

巣寺 あすこは好きじゃないわ。鉄と腐ったにおいが一年中するもの。

私はあすこを通るたびに死体が落ちてるんじゃないかって探してしまう。

太郎 どこだっていいよ。それじゃあ右足に座っているのは?

バナナでも食べながら赤い帽子を探しておくれ。

巣寺 広場へ行ったら、兄さんに伝えてくれない?

右にバナナがあるから気をつけろって。

太郎 右にバナナだね。間違いなく伝える。

巣寺 右足で待ってるわ。

太郎 すぐ行くよ!

手をたたくと何処からともなく黒子が現れる。

太郎 やあ来たね。ずっとそこにいたのか?まあいいや。

これを運んでくれよ。規約外労働だって?まあ少しぐらいならいいだろう。

君も毎回しょうもない舞台装置ばっかり運ばされて嫌気がさしてるんじゃないか

後で小遣いをやるからバナナでも買って食べるといいよ。そうだ、この前借りた

お金もそのときまとめて返すから。あ、もう一つ頼まれてくれないか。

広場でゲルデンに会ったら、右のバナナに気をつけるよう伝えてくれ!

黒子は荷物を持ってどこかへ消える。

太郎 なぜだろう。なにか嫌な予感がする。万事順調で思い悩むことなど

ないはずなのに。僕が怯えているのはきっと今が幸せに感ぜられて

それを手放すのが恐ろしいからだ。いや、なに、心配することなんてない しかと握り締めておけばいいだけの話なのだ。でも気をつけなければ。

彼女はああいったが、友情なんてものはバナナの皮一つで消え去ることも

あるのだ。

太郎は恋人の消えた方角へ走っていく。ざわめきは去り、

ベルはまた静かに鳴る。

広場 兄

広場の賑わいや騒々しい物売りは何処へ消えたのか、声だけがかすかに聞こえる。

美しい花壇を照らすのは秋の日差しではなく暗闇のカーテン。足踏みとベルの音。

男が一人、右腕をぐるぐる回している。これが彼の見ている世界のようだ。

夏留殿 仕合せなものがいれば当然不仕合わせなものがいる。世界はどうも

そういうふうに出来ているらしい。私たちが花火を見て楽しんでいる間には

花火師が必死で玉を込める。王様が贅沢をするためには、民が必死で働かねばならない。お花畑で散歩をすれば何百という虫が踏み殺される。

そして奴らが祭りに精を出してるおかげで私は満足に道も歩けないという寸法だ。

皮肉なものだが、全員が全員仕合せになることはないらしい。

あの男を見てみろ。ああやって右腕をぐるぐる回しているが、

結局のところ右腕でも左腕でも(腕を回しながら)ぐるぐるまわしたところで

なんの得にだってならない。

男はゲルデンに気づいて左腕をぐるぐる回し始めるが表情は悲しそうだ。

ふとベルが大きく響く。

夏留殿 チクショウメ。またあの忌々しい鈴の音が聞こえてきた。なんだってあの音は

私を不快にさせるのだ。何千・何万という種類の音が、そこらじゅうに

転がっているがあんなふうに私をイライラさせるのはこの鈴の音だけだ。

聞くまいとしても無駄な努力、耳を塞いだって聞こえてくる。チクショウメ!

止めてくれといっても止まないことはわかっているがとても黙っていられない。

もう止めてくれ!この音を聞くたびに胸が締め付けられるように痛むのだ。

自分でさえ触れたことのない深い危険な部分が露わになっていくのを感じる。

だが奴らは止めを刺さずに私の周りでくすぶっているのだ。そして小石か何かが

私の心臓を貫くときを期待して頭の、頭のこの辺りで待ち構えている!

いつまでも!あああ!止めてくれ!この音が死人の呼び声であるのなら、

どうぞお構いなく私を死界へ連れて行くがよい!決して拒みはしないのだから

さぞ簡単に仕事を終えることだろう。

男は腕を交互にぐるぐる回しながら広場の音楽に合わせて少しずつ他の動作も入れ、ダンスは次第に激しくなっていく。

夏留殿 いっそのこと怒りに身を任せてしまうのはどうだろう。そうすればこうやって苦

しむことも独り言をぶつぶつつぶやいて周りから変に思われることもなくなる。

クソッ!理性的になるんだ。一足す一は二。二掛ける二は六。

頭はまだ平気らしいがいつおかしくなるともしれない。ほらみろ、さっそく

幻聴だ。黒子がものをしゃべっているぞ。

どこからともなく黒子が現れて伝言を伝える。

夏留殿 なに、バナナに気をつけろって。右でも左でもバナナなんかに取って

食われるものか。しかし、気分が暗くては美しい花も雑草に見えるというもの。

バナナに食われずともバナナの皮で足を滑らせるかもしれない。

私はタローに会いに行くべきだ。

それから妹のステラにも。そうすれば少しは気が休まるだろう。……鈴の音が遠くなっていく。もう二度と戻らぬことをお祈りするばかりだ。

ゲルデンの家の前

家の前には従者が一人。太郎が慌てて走ってくる。

太郎 ゲルデン!……彼は?

従者 ご自分のお部屋に居られます。

太郎 それじゃ通してくれ!具合はどうなんだ。怪我はしなかったのか。

自分の目で確かめるから早くそこをどいてくれ!

従者 できません!ですから、誰も通すなと。

太郎 彼が言ったのか!

従者 酷く落ち込んでおられる様子でした。あなた様が……

太郎 ゲルデンに伝えてくれ!僕が来たから顔を見せるようにと。

それができないならせめて心配要らないのか教えるように!僕がなんだ!

従者 あなた様があのようなことをなすったとは信じられないと、

そのことで悲しんでおられました。

太郎 あのこととはなんだ!彼が事故にあったというから飛んできた。

僕が一体何をなすったのか皆目心当たりがない。

ゲルテン!聞こえるか!僕に言うことがあるのかわからないが

今言ったとおりだから話を聞かせてくれ!

従者 それがあの、あれがそれであれのそれがあれなんでございます。

太郎 そうかあれがそれであれのそれがあれのそのあれであれなのか!

あれがそれのあれとはいったい何のことだ!

あのとかそのとかじゃなくもっと具体的に言えないのか!!

従者 あの、あなた様がバナナの皮を置いてわざと転ばせたと……。

太郎 なんだと?

従者 い、今いった通りにございます。

太郎 僕が誰をわざと転ばせただって!

夏留殿 タロー!すまなかったよ。私も少し考える時間が欲しかったんだ!

なにせ君にはいろいろと世話になってきたし、友人を簡単に裏切るなんて

そんなことを、そんなことをする奴じゃないと今まで思っていたから。

太郎 なんのことだ。

夏留殿 だがもう、十分だ。もう考えはまとまった。

太郎 なんのことだ。バナナの皮?馬鹿言え、君が言ってるのはステイラの事か。

夏留殿 いや、君がそんなふうに言うとは思わなかった。それじゃあ少し心外に取るか

しれないがな、バナナのことなんだ。君の言ってるバナナの皮のことだ。

太郎 バナナの皮がなんだっていうんだ。僕には君の言っていることが信じ

られない。君と僕の信頼が、バナナの皮一つで打ち砕かれてしまうものなのか。

夏留殿 比喩ではないんだ、タロー。私だって悲しいさ。だが今は悲しみに変わって

憎しみが私の心を支配している。君には信じられないだろうね、

(わざとらしく怒った表情を作る)私は感情を顔に出さない方だから。

太郎 僕は信じない。なんにせよ、バナナの皮で滑るような友情しか君が

抱いていなかったとでもいうのか?違うだろう!こういうのもなんだが、

僕はずいぶんと君の役に立ってきたつもりだ。盲目の君を助ける為にこの

身を削ることすらあった。それだってステラのためじゃない。君のためだ。

夏留殿 そう。だから言ったのだ。誰も通すなと!だが残念なことに君の努力は

私を少し考えさせる時間ほどにしか意味を持たなかったらしい。

太郎 ああ、いい加減にしてくれ、ゲルデン、僕は君をいらだたせるようなことは

何一つした覚えが無い!僕が気づいていないのか、そうでなくては何か

誤解をしているんじゃないのか!

夏留殿 比喩ではないんだよ、タロー。私はバナナの皮の話をしているんだよ。

さきからずっとそうだし、バナナの皮以外の話をした覚えは無い。

太郎 君は僕が、僕がバナナの皮を置いて君を転ばせたというのか。

夏留殿 そういうことになるね。

太郎 いつだ!僕は広場から2kmも離れた右足で君の大嫌いな巡回を見ていたんだ。

嘘だというならステイラに聞いてみればいい。君の事を伝えに来た使者だって

それを知ってる。

夏留殿 私が苦しんでいる間に君は妹とイチャイチャしていたってわけか。まあいい。

君はバナナの皮で人を転ばせるためにずっとバナナを見張っていなければ

ならないと信じているようだから教えてやる。

まずバナナの皮を用意して地面に置く!それだけだ。それだけなのだよ。

それだけで人を転ばせることができる意図も簡単に!

あとは自分の好きなところで好きなことをして転ぶのを待っていればいいのだ。

君の場合は私のかわいい妹とイチャついて……。

太郎 ゲルデーン!!どうして僕が君を、わざと転ばせなきゃならない!

少し落ち着くんだ。落ち着いて考えてくれ!

夏留殿 落ち着いて考えたさ!ああ何度も考えた!!どうしてタロー、お前が私を

騙すようなことをしたのか!!ああ、だが答えなど出ないのだ。それを

今、君の口から聞こうと言うのだ!

太郎 バナナの皮を用意して地面に置くことなんて誰だってできるだろう!

それにゴミ箱が遠くてゴミを捨てるようにバナナの皮を捨てたのかもしれない!

事故だったんだ!誰が見ても一目瞭然不幸な事故だったのさ!

夏留殿 なるほど君の言い分はもっともらしく聞こえる。

太郎 ゲルデーン。どうして僕に罪を擦り付けようとするんだ。ああ、

それだって構わない。君がそれで仕合せだっていうんならそうしてくれ、だが、

僕にはそうとは思えないんだよ。

夏留殿 だがタロー!偽善者らしいそのセリフがお前の罪を証拠付ける何よりの証拠!

太郎 ゲルデンたのむから、僕の話を聞いてくれ。

夏留殿 ハッハッハッハッハ!話を聞かないのはタロー。君のほうだ。

私がこの素晴らしい表現力で事を速やかに伝えようと努力しているのを君は

横からバナナーバナナー。ゲルデーン。バナナー。やれやれ、君がそのそこのところに行儀よくお座りして静かに聞いていてくれれば明白明瞭全ての問題は霧が晴れたように露わになるだろうに。

太郎 それじゃあ黙っているからその素晴らしい表現力とやらで霧を晴らしてくれるか。

夏留殿 そこじゃない。そこだ。座る場所は。そう、そこ。

君のことだからどうして見えるのかと気になって夜も眠れなくては不憫だからね、聞かれる前に答えてやる。心の瞳だよ心の瞳。顔に付いた二つの眼球は光を失ってしまったが、心の瞳までは死んでいないさ。

太郎 その心の瞳は僕を悪人だというのか!

夏留殿 そのとおり!(裏声で)アクニンダヨ!アイツアクニンダヨ!ほら言ってる。

太郎 ゲルテン……。

巣寺 兄さん!

夏留殿 おお、わが妹よ!ちょうど良いところに来た。

巣寺 (息を切らしながら)兄さん、大丈夫なの?怪我をしたと聞いて飛んできたけれど、ああ、そうやって立っていられるのなら大事はなかったのね。

夏留殿 心配には及ぶまいよ。私が痛めたのは身体ではなくこの心のなのだから。

だがしかしお前の声を聞いてその心もすぐに癒されてしまったよ。

巣寺 それならよかった。飛んできた甲斐があったというもの。

夏留殿 だが太郎、安心しろ。お前への怒りまではなくなったわけじゃない。

心の痛みは消えたがその分容赦なく責めることができるというもの。

太郎 ならとっとと霧を晴らさないか!

巣寺 太郎?一体どうしてそんなところに。

太郎 ステラもいるんだ。また3人でポーカーをしようじゃないか。

夏留殿 だがタロー、ポーカーをするのは私だけだ。

私が一人で楽しく、知的なポーカを楽しんでいるのを、

お前たち二人は悔しそうに眺めているがいい。私の知的なプレイを見て

恐れおののくか、それともポーカーを諦めて野蛮な遊びに耽るか、

それは君しだいだがね。

太郎 一人でポーカーをするのは虚しいぞ。意地を張っているのか?

夏留殿 あっはっはっはっはっ!

冗談だよ。冗談。私が折角冗談を言って場を和ませようとしたというのに、

一人ポーカーがしたければ君がしたらいい好きなだけ。

巣寺 兄さん!一体何があったの?今すぐ説明してくれなければ

気が触れたものと思って医者を呼ぶわ。

夏留殿 おや、冗談だといっているのに。

だがこれは私とタローの問題だ。ステイラ、君は下がって、

一人ポーカーでもして待っていなさい。

太郎 ゲルデン、君がそうやって僕をからかっているんだとしたらもう止めてくれ。

僕は君との友情を失いたくない。

夏留殿 からかう?(笑いを堪えるようにしながら、その笑いは次第に怒りへと

変わってゆく)君が私をか!?人を騙しておいてよくそんなことがいえるものだ。

感心するがそれと同時に君への憎悪は確信となった!霧を晴らしてやろう。

君は僕をバナナで転ばせた!説明以上!もう君に語ることなどない!

太郎 どこが素晴らしい表現力だ。君にもう言うことがないというなら

ああ、僕は家に帰らせてもらおう。酒に酔うような男じゃないだろう。何が君を駆り立てるのかわからないが、明日になれば以前と同じように話が出来るものと信じているよ。

夏留殿 私は君を許す気はない。明日も明後日もそれは同じだ。

太郎 ゲルデン、君が何を言おうと僕は君を親友だと思っている。

夏留殿 タロー、昔親友だったよしみで教えてやるが、私は君に復讐をする気でいるのだ。

私の受けた苦しみがどんなものだったか君には想像も付かないだろうが

憎しみが偽りでないことだけはやがてわかってもらえるだろうな。

太郎は家の方角へ歩いていく。自分の部屋に戻ろうとするゲルデンを

ステラが止める。

巣寺 兄さん、ねえお願い。何があったの。あの人との仲を裂くようなことだから、

きっとよほどのことなのでしょう。ねえ、どうして何も言ってくれないの。

兄さん、あなたの苦しみは私の苦しみに同じなのよ。それをどうかわかって頂戴。

夏留殿 ステイラ。ああ私のかわいい妹よ!お前の優しさは私の心を小鳥の羽のように包

み込んでくれる。だが、ああ、兄は今一人になりたいのだ。

だからお前はあの男のところにでもイチャつきにいけばいい。

巣寺 イチャつきにだなんて、兄さん。冗談はよして、お願いだから。

夏留殿 イチャつくんだろう!

巣寺 イチャつかないわ!

夏留殿 いや、私は何もお前にあの男とイチャつくなと言ってるわけじゃないんだ。

お前の幸福は私の幸福だからね。ただ兄さんは早くトイレに行きたいからこの

手を……離してくれないか。

巣寺 ごめんなさい。

ゲルデンは家の中へ。

巣寺 うまく逃げられてしまった。ああ、私はどうすればいいんだろう。

兄の言う通りイチャつきに行くべきなのだろうか。

それにしてもあの男だなんて、タローをあんなに慕っていた兄さんが。

これが夢だったならどんなにいいか。

とにかくタローに会うべきわ。イチャつくにせよ、しないにせよ。

ステラが去ると従者が家の扉をノックする。

夏留殿 なんだ。

従者 いきました。

夏留殿 いったか。

従者 いきました。

夏留殿 いったか!

従者 いきました!

夏留殿 いったか!!

従者 いきました!!

夏留殿 やかましい。そこで一人ポーカーでもしていろ。

従者 で、ですが、その、トランプがございません。

夏留殿 トランプ?じゃあバミトントンでもしていろ。

ラケットならそのへんにあるだろう。

従者 バトミントンですね。かしこまりました。

夏留殿 (痛がって)うっ

従者 お怪我をなさっているので?

夏留殿 最近流行っているんだ。このダンスが。うっうっうっ。

従者 そうでしたか。失礼しました。

夏留殿 転んでからずっとやせ我慢をしていた痛みが、今になって酷く私を苦しめる。

我慢した分だけまとめてお支払いさせようという魂胆なのだろう。

だがこの痛みのおかげで思い出したぞ。私はタローに会ったことがある。

今日や昨日のことじゃない。この瞳にまだ光が宿っていたころ、

私はタローに会ったのだ。そこで何があったのかわからないが、

思い出そうとすると頭の、頭のこの辺りがムカムカしてくるのだ。

そうして私の失った記憶たちが、奴を憎めと催促して止まない。

いいだろう、それが私の記憶だというのなら、私は復讐するべきなのだ。

どうせもう私には、それ以外になにひとつ残っていないのだから。

ハッハッハ!復讐だ!復讐してやる!

ありとあらゆる方法で!タロー、お前を叩きのめしてやる!

イルカ像の前

太郎 空が青い!なんて青いんだ。こんな日に限って雲ひとつ無い青空。

この草やあの草はのんきに風に揺られて僕の苦悩などまるで知らないようだ。

僕もこの草やあの草のように風に流されてみようか。

昨日は二人で仕合せに過ごしたこの場所で、今は現実のものとなった不幸が、

僕を射止めようと狙いを定めている。

ああ、見ろ。使いが走ってくるのが見える。ここから見ると広場は砂粒のように

小さいが、しかしあの赤い帽子はよく目立つ。あの帽子は僕のだろうか。

今日はつけてこなかったのを、わざわざ届けに来たのだろうか。

ごきげんよう!あなたはゲルデンの人ではないか。どうしてここへ?

従者 (マヨネーズまみれの帽子を渡して)これを届けるようにと……。

太郎 (はっとして固まる)……そうか、そのマヨネーズ臭い帽子をわざわざ、

どうもありがとう。(帽子を地面に置いて遠くから見つめる)

僕がマヨネーズ嫌いなのを知ってわざわざ、こんな子供じみた真似をしてきた

んだろう。しかし僕はもう……マヨネーズまみれのこの帽子に触れられそうに無い。父のものであった大切なこの帽子に僕は触れることもできない!!

誰がこんなことを?いや、意味のない問いかけはやめよう。

わかりきっているのだから。彼のアレがただ一夜限りの幻だった考えた僕が愚かだった。しかし僕はどうすればいいのだろう。どうすればゲルデンの悲しみを、怒りを癒すことができるのだろう。ああ、あの時!彼女がここで僕に伝言を頼んだそのときにこれが何かの前触れだと気づくべきだった!或は、或は黒子に任せるのではなく僕が自ら伝えるべきでそうすればこんな事件は起きずに済んだんだ。彼に僕の潔白をわかってもらう方法を考えたくては……。そんな方法が果たしてあるのだろうか?ゲルデンは僕を恨んでいる。恐ろしい目をしていた。人を殺すような目だ。僕は今だってあの眼を思い出すと震え止まらなくなるあのとき正気を保っていられたのはひとえに彼女がそこにいてくれたからだ。ステイラが傍にいなければ恐怖のあまり親友にあるまじき行為をしていたとも知れないだが今僕は冷静だ。計算だって出来る。1+1は2。二×二は六。よし合ってる。

決してゲルデンの心を傷つけるような真似だけはできない。なんにせよ僕は僕の親友を守るだけだ……。そのためにはなんだってしよう。黒子!

手をたたく。黒子が現れる。

太郎 君は伝言を確かに、いや、すまない。昨日ここで頼んだ言伝のことだ。

それをどのようにどうしたか、僕に教えてくれ。そこになにか間違いがあって、

彼が勘違いしてるのは間違いないんだから。

黒子は身振り手振りで説明する。

巣寺 タロー!タロー探したのよ、ねえ兄さんを見た?

太郎 君のにいさんなら見なかったが代わりにこんなものを見つけたよ。

巣寺 ああ、なんてこと!あなたの大切な帽子が!これじゃあまるでペキンダック!

太郎 君の例えはよくわからないがゲルデンがどうかしたのか?

巣寺 ええ、昨日から姿が見えないんです。

太郎 昨日から?まいったな。今から会いに行こうと思っていたのに。

巣寺 会いに行く?タロー、正気なの?あなた殺されるわ。

太郎 君こそ正気なのか!?君がゲルデンのことをそんなふうに言うなんて。

巣寺 正気じゃないのは兄一人よ。私あの後一度は帰ろうとしたのだけど放って置けなくて兄に会いに行ったの。そうしたら私のことを跳ね除けてどこかへ行ってしまったわ。巡回の人たちの顔を見たことがある?あの人そんな顔をしていた。

太郎 正気の奪い合いなんてまっぴらだ。君がそれ以上ゲルデンのことを悪く言うなら

僕は君の事を勘違いしていたんだね!

巣寺 タローわかって頂戴。私あなたが心配なのよ。ねえ、妹の私が言うのよ。

あれはもう兄じゃないわ。兄は魔物に食われてしまったのよ・・

太郎 バナナじゃあるまいしそう簡単に食われるものか!それにステラ、

ゲルデンが僕を殺すというのなら僕は喜んで殺されよう。彼の剣に貫かれても

僕は彼を愛し続ける。そう決めたんだ。

巣寺 そうするのが楽でしょう!でももしあなたがそうして死んだら残された私と兄はどうなるの?兄は親友を失って私は夫を失うの!オチャノコサイサイね!

太郎 オチャノコサイサイと君は言うが。

巣寺 ねえ、兄があなたに何かする前に逃げて。黒子と踊っているのが好きなら無理にとはいわないけれど。

太郎 ステラ!……。

巣寺は去っていく。

ゲルデンの家の前

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右足 巡回を見る太郎と巣寺

巨大な足の石像に太郎の赤い帽子が置いてある。右足のまわりは大層な賑わい。バナナ売りがバナナを売っていが、二人の耳にはなにも入らない様子。

巣寺 いい?なにを聞かれても「いいえ」って答えるの。

太郎 オーケー。

巣寺 今のは無しってことにしてあげる。じゃあ質問するわ。私を愛してる?

太郎 愛してるよステーラ!!

巣寺 私もよタロー!!

太郎 僕もさ!

巣寺 私も!

太郎 ゲルデンを一人にしてよかったのかな。

巣寺 兄さんは大丈夫よ。一緒にいるって言っても心の目はまだ死んでないとかなん

とかいって聞かないんだもの。

太郎 今年は人が多いから心配だよ。広場には物取りだっているんだ。

巣寺 巡回が過ぎたら見に行きましょう。焦ることはないと思う。

太郎 なんだってみんな巡回を見たがるのかわからないよ。僕はこのベルの音を聞いて

いると時々無性に恐ろしくなるんだ。

巣寺 そうかしら。私にはとても幻想的に聞こえるけど。

太郎 君と一緒ならどんなものだって宝石のように輝いて見えるよ。でも一人じゃとても見に来る気にはなれないな。彼らの顔を近くで見たことがあるかい?

巣寺 ないわ。ねえ、まだ時間があるみたいだからなにか面白いことをしてよ。

太郎 (奇怪な動きをして最後に指を向ける)君の心に、ドッキュンコ!

巣寺 …………。

太郎 ……。

突如として静けさに包まれる。

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