私と弟は池で泳いでいました。周りのほとんどを木々で囲われた大きな池です。すこし濁った水の中にはいくらか魚もいるようでときどき虹色に光る鱗が見えました。うそだよ

私と弟は遊びながら潜水の練習をしました。池はあるところでとても深く、底のないような場所もありました。うそだよ

弟は5つ下でまだ大人とうまく話せないぐらいの年でした。危険だったのでしょう。でも私たちはまるで魚のようにうまく泳いだので、危険なことなんて何一つないと思っていましたから、弟に注意を促すどころか無茶を仕向ることだって何度もあったのです。

そもそも池は領域のなかでは比較的安全な場所で、大人たちの池に関する伝説に対する態度も私にはむしろ懐疑的なように思われました。うそだよ

ところで、海藻っておいしいですよね。私は海藻が大好きだったので、あるとき水面に浮かんでいた海藻を食べようと浮かんでいったのです。並んで潜っていた弟が私より先に顔を出しているはずでしたから、私は海藻を口に運ぶ前に弟の姿を探しました。しかし弟の姿はなく、弟の居場所に関する信用が全て崩れ去った私には大きな不安が圧し掛かって呼吸をしているのに水中にいるような圧迫感を実際に感じました。うそです

慌てて池に潜り、底の方を見つめましたが、2フォンほどの先から背の高い藻が視界を遮り、水底がどこにあるのかもわかりませんでした。私はあの藻の中へ潜っていく覚悟を決めて(決めるのに小1時間かかりました)いよいよ潜ろうと息を吸い込んだとき、なんの前触れもなく身体が水底へと沈み、弟もこのようにして姿をくらましたのかと、ぼんやりと光る水面を眺めながら思ったのです。うそですよおお

強引に藻の中へと身体を押し込まれて暫くすると身体はやわらかい水底にぶつかったのですが、何かの力はあたかも私を土の中へ引きずり込もうとしているようで、それが嘘ではないことを直ぐに知りました。水底にできた奇妙な窪みの中心が私の足を咥えて全身も引きずり込もうとしていたのです。私はもはやどちらが上でどちらが下なのかもわからず、とにかく落ち着いて呼吸を整えることだけに全ての力を使っていました。ようやく落ち着いて呼吸を整えることができたのは努力の成果ではなく、弟の一言で我を取り戻したからだと思います。

「ヒトジゴクだよ!ヒトジゴクがいっぱいいるんだ!」

ヒトジゴクという言葉には覚えがありませんでした。しかし弟はそれを知っているようだったので、私が知らないだけでなにか有名なものなのだろうと思いました。弟がヒトジゴクと呼んだそれは、一体一体は人の大きさの幼虫かミミズのような姿で、水底の巨大な窪みの斜面を滝のように覆っていました。いや、そんなことは別にどうでもいいのです。大勢のヒトジゴクは連なったまま滝のようにどこかへ落ちて行き、いつのまにか私のすぐそばにいた弟は名残惜しそうに去っていく彼らを見つめていました。私は弟にこれから何処へ行くのか聞きました。弟は半分潜ったところでしたが、潜るのをやめて教えてくれました。

「僕たちも彼らと同じように地面へ潜って行くんだ」

私は弟に習って地面へ潜っていくことにしました。私には他にいいアイデアがなかったし、地面に潜っていくこととても容易く思われたのです。弟はまた潜り始めていたので、私もいつの間にか無くなっていた手足を動かそうと身体を捩らせましたがうまくバランスが取れずに頭から倒れてしまいました。弟の姿はもう見えなくなってたので、私ははやく潜らなければと焦りました。しかし焦れば焦るほど身体を言うことを聞かず、無くなった手足は見つかりません。これはもうだめかもしれんと諦めてこれからどうしようか考え始めたとき、私は弟が手足を使わずに潜っていたのを思い出し、手足がないなら手足を使わずに潜ればいいことを知りました。さっそく頭をやわらかい土の上に乗せて身体をくねくねさせると、なるほど、弟したように身体はするする地面へ潜って行きました。

どれだけもぐったのでしょうか。わかりません。

潜りながら私は自分の体が変化しているのを知りました。以前の私を残しているのはもう顔だけになり、顔から下はあのヒトジゴクのように突起のないミミズのような形状になっていました。手足が無いことにも馴れてしまい、手足に力を入れる方法も忘れてしまいました。そして土の中で弟と再会しました。果たしてそれは弟だったのでしょうか。土の中は視界が悪く、それが弟でなかったとしてもわからないでしょう。とにかく私は、土の中に突如として現れた穴の中へ弟が吸い込まれていくのを見つけました。穴と言うのは、銀色の、金属のような壁に開いた丸い穴のことです。池はその金属の壁でとうとう行き止まりらしく、それ以上潜っていくことは出来なかったのです。穴にたどり着く前に弟らしきミミズはその中へ姿を消したので私も後に続きました。穴の先は見えませんでしたが、どうもパイプのように曲がりながらずっと奥まで続いているようでした。パイプは円柱形の私の身体がちょうど通れる太さでした。私はぐんぐんスピードを増しながらパイプを通ってくねくね進みました。パイプには流れがあり、その流れが私を勝手に進めるのです。それはパイプが一方通行でもう戻れないことを示していました。しかし、弟が私の視界に入ることはありませんでした。それはパイプから飛び出して貯水タンクのような場所に落ちてからも同じでした。タンクは球形で半分ぐらいまで水が満ちておりとても巨大でした。私が落ちてきたパイプの穴が遥か上空にあって目を凝らしてもほとんどあるのかわからないぐらいでした。しかし水は透き通っていてここに自分以外のものがなにもないことは明らかでした。だってそうでしょう。もし誰かがいたのなら大きな音を立てて水に落ちた私にこんにちはとか挨拶をしてくるに決まっています。誰も挨拶をしてこないということは誰も居ないということなのです。直ぐ近くの壁の水嵩と同じぐらいのところにパイプの穴がありましたから、私は弟がそっちへいったものと思ってその穴に潜り込みました。水の中を泳ぐのは簡単でした。身体をくねくねさせながらお腹の辺りにあるヒレをひらひらさせればよかったのです。しかしそのパイプの流れは逆方向でした。私は根性で進みました。根性で進んでいる間に後ろから弟の声が聞こえたような気がしましたが、それは私が全力で身体をくねくねさせているからであって、実際に聞こえたわけではないのでした。

「このパイプは逆方向だよ!」