一人の神がいた。神は私を創りそれから世界を創り人を創ってから私を殺して庭に埋めた。私はおとなしく埋められた。庭の土の中は暖かくて気持ちが悪かった。得体の知れないものがときどき私に触れた。神は言った。「嘆くこと勿れ。汝大地と共に在り」

大地はジメジメしていて気持ちが悪かった。得体の知れないものがときどき私に声をかけた。「こんにちは」とか「おはようございます」とか「何か食べますか」とかあるいは私に理解できない言葉を投げかけた。私は「こんにちは」とか「おはようございます」とか「クリームシチューはありますか」とかあるいは「パンナコッタ」などの適当な言葉を返した。クリームシチューが土の中に届けられることは無かった。あるいは土の中を探せばクリームシチューが私と同じように埋められているかもしれないけれど探そうとは思わなかった。私は時々返事を返す以外には何もせずただ石のように沈黙していた。だいいち身動きするだけの余裕が固い土の中には無かった。

そこは暗かったが、地上から聞こえる微かの音の性で飽きることは無かった。私はいつも瞼を閉じて左の耳に届く何かの動く音や何かの奏でる音を聞いていた。そしてときどき聞こえる「こんばんは」とか「醤油の瓶を知りませんか」とかあるいは聞いたことも無い言葉に、「こんばんは」とか「ここには無い様です」とかあるいは「シオラーメン」とか言って、その弾みで口の中に入ってきた土を唾液と一緒に吐き出すのだった。



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体を必死に動かしたが、自分自身が土になってしまったかのようにピクリともしなかった。もちろん完全に動かないわけではない。ピクリ未満の指先の微震は可能だし、瞼と唇は自由に動かせた。特に口はこのごろ腹から送られてくる意味の無い呻き声を吐き出すので忙しかった。

くるぶしが痛かった。朝からずっとくるぶしが痛かった。朝と言っても光の届かない大地の下では太陽がどの位置にあるのか知ることは出来なかったので自分が眠りから覚めた時間を便宜上そう呼んでいるだけである。

眼を覚ますとくるぶしの痛みに気が付いた。固い土の中で遥か遠くにあるように感じられる右のくるぶしが骨を針でちくちく刺したように痛んだ。こんなことは初めてだった。直接見ることが出来ないため意識は嫌が応にも右のくるぶしに集中した。他にすることもないのだ、くるぶしに寄生して痛みを与えるような生物がいるのではないかと考えた。このままでは自分はくるぶしの痛みによって死んでしまうのではないかとさえ思った。

痛みはあるのにいくら動かそうとしても神経が通っていないかのように足応えがない。時間が経ち意識が冴えても痛みは一向に減衰しなかった。むしろ以前より増加しているようにも思えた。私はくるぶし寄生虫が仲間を呼んでいるのだと悟った。

地の底から無数のくるぶし寄生虫が土を掻き分け昇ってくるのである。奴等は頭にプロペラ状のドリルを持っていて、それを回転させることによって物凄い速度で、そうマッハ2ぐらいでくるぶし目掛けて突き進む。そしてひとたびくるぶしを見つけるとそのプロペラを平たい膜のように伸ばし、くるぶしの曲線に合せてへばりつくのだ。膜の中央には針状の口があり、それはくるぶしに突き刺さり新鮮な血液をチューチュー吸う為にある。

「助けて…」

私は怖くなって思わず叫んだ。開いた口にもっさりとした土が入り込む。それを舌で押し出しながら神を呼んだ。いくら呼んでも神は来ない。「誰か助けて…」

地上に声が届くのかは疑問だった。しかし、得体のしれないがくるぶしに寄生するのを庭に埋まって悠々と待っている気は無かった。左足で何かが動いた気がした。泣きそうになった。土の中に埋まっているのが、こんなにも不便だなんて、今まで思いもしなかった。

(どうすればいいだろう・・)

苦しみから逃れる方法を考えてみる。いつも近くを通るアレや私の大好きなアレもこんなときはまるで役に立たないようだった。

しゃべるを持っていればよかったと後悔した。埋められる前にしゃべるをポケットに入れて、それから埋められれば、こんなことになる前に穴を掘って、左足を自分の手の届く場所へ移動できたのだ。

いくら考えても苦しみから逃れる方法は分からなかった。自分はこのまま体中の血を吸い取られるしかないのかと考えて背筋を冷たいものが走った。幸いなことに背筋を走ったのは寄生虫ではなかった。

ふと、私のうめき声に混ざって聞き覚えのない音がした。呻るのを止めるとずっと遠くのほうから声が聞こえた。声は足音と一緒に段々と大きくなって、何かが近づいていることを知った。

精一杯叫んだ。くるぶしの痛みから逃れる為に叫んだ。喉が痛くなった。叫び続けた。

疲れて叫ぶのをやめるともう足音はしなかった。代わりに言葉が聞こえた。

「何をしているの。」

声は頭の後ろから聞こえた。少年の声だ。振り向こうとしたが首が回らなかったのでそのまま答えた。

「やぁ。」

果たして何者だろう。私と同じように埋められた誰かだろうか。

「こんばんは。」私は驚いた。

「今は夜だったのか。全然知らなかった。月は見えるかな。」

「月は見えないよ。サタンが食べてしまったもの。何をしているの。」

「何って、見れば分かるだろう。」

彼女は黙ってしまった。風の音が聞こえた。

「埋まってるんだ。」

「あらそう。」

そういったきり彼女はまた何も言わなくなった。

私はくるぶしが痛くて唸っているのを聞かれないようになるべく口を閉じていたがそうしているとそのうちくるぶしは痛くなくなった。