27つのトーストが並んでいる。僕はあのトーストたちが土埃をまとって飛んでゆくさまを空に描く。あれらがどんな音を吐き飛んでゆくにしても、発射と共に戦争や死体などの未来が決定する事は確実で僕は恐怖を感じる。僕らはリネを脱出した。脱出してはいけないことになっている。僕らは田中寮を抜け出しフェンスを登りリネから逃げ出した。脱出した僕らはほとんど間違いなくリネコートに並ぶ27つのトーストたちをいつでも思い出すだろうと予測する。27つのトーストたちがどんな音を吐き飛んでゆくにしても、リネコートから遠く離れた知らない場所で僕らの頭の中に並ぶ27つのトーストたちが噴煙を上げ飛んでゆくさまをほとんど間違いなく空想し、恐怖するだろうと予測する。だから僕はリネコートを見下ろす丘の上で星や丘やトと一緒に、空に向かって生える27つのトーストたちを見下ろしているのだ。僕の胸へ悪夢を生み出す因子の、最も具体的存在感を可能な限り記憶しようと励み、そうすることでのちに僕の知らないところで進む時限装置の秒読みを可能な限り長時間自分の知るところで聞こうという、そういった目論みによって僕は立木のようなトーストたちを見下ろしている。
「こわいよ」
トが言った。何がこわいと言ったのかわからない。だけどたぶん僕と同じ理由なんだろうと想像する。「はやく行こう」僕はトに言った。早くここから離れてどこか誰も知らないところで生きたいと思う。そうすることが出来たらどんなに幸せだろうと思う。僕がリネコートから目を離して、トもリネコートから目を離して、僕らは歩き出した。リネを離れてどこか誰も知らないところへ行く。


ゲラーには誰もいない。34年前リネが作られる以前から既にゲラーには誰もいなかった。僕が知っているのは半径が17hAだということ、あちこちに水溜りがあるということ、野生化したガスクたちが僅かに暮らしているということ、それだけだった。「好きだ」僕はトにそう言った。僕はトが好きだ。いや今のは嘘だ。僕はトが好きじゃない。ぜんぜん好きじゃない。なぜこんなことを言ったのかわからない。いや今のは嘘だ。僕はゲラーのことを僕より知っているトからゲラーのことを訊き出すためにトに好意があるふりをした。トは僕がトに好意を持っていると思い込みゲラーについて話し始めた。


「イリペジオなんだよ」僕はその鉱物を知らなかった。「生命鉱物の一覧にイリペジオの名前があったのを思い出せ」僕は生命鉱物の一覧表にイリペジオの名前があったのを思い出した。ゲラーの大地である赤茶色の砂はイリペジオの透き通った水晶によく似ていた。イリペジオが食べられるのか訊こうとしたが言葉は出なかった。なぜなら僕は食べ物のことばかりを考えていたので食べ物のことばかりを考えているやつだと思われるのが嫌だったのだ。トはそれ以上何も知らないと言った。僕はこの役立たずと思った。「役に立たなくてごめん」トが言った。トは時々僕が考えているのと同じことを言う。僕とトに同じ回路が使われているからだ。「なんにしても歩き続けるしかないんだよ」独り言のように僕は言った。「歩き続けてお腹がすいたらガスクを殺し雨水を飲んでまた歩き続けるんだ」24トンの食糧庫を置いてナイフを持ってきた僕らは覚えきれないほどのガスクたちを殺しその肉を喰らうことになっていた。僕はナイフでガスクを殺しその肉を喰らうのが嫌だったからイリペジオをその代わりに殺し食べることはできないかトに訊きたかったが食べ物のことばかり考えているやつだと思われるのが嫌で訊けなかった。


僕らは歩き続け、リネは僕らから離れていった。ガスクの一人に出会い、夜が来た。


ガスクのヌーはイリペジオの発光色が恐ろしいと言い、僕とトは綺麗だと言った。「人間か」地平線の向こうから十分な時間を掛けて僕らの前に来たガスクのヌーは最初にそう言った。「違う。僕とトはテンジリャアだ」ガスクのヌーは美しい白角を僕らに向けたまま、黙って何か考えているように見えた。僕は僕が人間だと答えていたらどうなったのか想像していた。黙って何かを考えていたガスクのヌーはやはり白角を僕らに向けたまま、イリペジオの発光色が恐ろしいと言った。僕はトの顔を見、トは僕の顔を見、僕は見たことがないのでわからないと言った。僕らはガスクのヌーを連れて歩き続けた。トはおなかがすいたと言い、僕はそうだと答えた。トに使われたものと同じ回路が僕の頭の中に入っている。だから僕とトは、ときどき同じことを考え同じことを言う。夜が来るとゲラーの大地であるイリペジオの砂はその赤茶色を闇に溶かし、やがて紫の光で大地が染まった。僕はリネの研究所から見たゲラーの大地がいつか、淡い紫に染まっていたことを思い出した。僕らは歩くのを止めた。僕は綺麗だと言い、トは綺麗だと呟いた。僕はイリペジオの発光を反射した27つのトーストたちがリネのリネコートから炎を噴いて飛んでゆくさまを空に描き、トはおいしそうなガスクのヌーを見つめて涎を垂らしているように見えた。僕はガスクの白く美しい身体を見、トがガスクのヌーをナイフで殺してしまわないかと心配した。ガスクのヌーは僕に近づいた。白く尖った角で僕を狙ったまま僕の正面で止まった。僕はガスクのヌーが自分を殺してその肉を喰らうつもりなのだと思い、ガスクを殺してその肉を喰らうためのナイフがトの鞄ではなく僕の右手にあることを思い出し、トの涎が口の上から垂れていることに気付き、ナイフを隠しながら言った。「僕は、僕らはお前の肉を喰らう」


トがゆっくり僕の方を向いたのを目の端で見た。「僕らはお前を殺しその肉を喰らうのだ」僕は悲しくなる。


27つのトーストもよく見ればただの植林で僕は寂しさを感じる。ローもきっとこういうものだと考える。24トンの食糧庫を置いてナイフを持ってきた僕らは、覚えきれないほどのガスクを殺しその肉を喰らうことになっていた。だから覚えきれないほどのローもきっと、よく見ればただの食肉なのだと考える。僕やトもよく見ればただの食肉なのだと考える。


僕はガスクのヌーが何か言うのを期待して何か言うのを待っていたが何も言わなかった。ガスクのヌーは僕に白い角を突きつけ、僕は殺されると思い、ガスクの美しい白角が紫色に染まってゆくのを見た。テヌーから突き出たガスクの白角がゲラーの大地であるイリペジオの砂のように紫色に発光するのを見た。僕はガスクのヌーがイリペジオの発光色が恐ろしいと言ったのを思い出し、リネの風景を思い出した。ガスクのヌーはテヌーを地面に触れるほど低く垂らし、イリペジオの発光色が恐ろしいと言った。ガスクのヌーはテヌーを地面に触れるほど低く垂らしたまま分厚い瞼で瞳を隠してイリペジオの発光色が恐ろしいと言い、僕はリネコートに並ぶ27つのトーストたちを思い出した。僕はよくわかると言い、わかったふりをして頷いた。僕はトの顔を見、トは僕の顔を見、僕らはガスクのヌーを殺してその肉を喰らった。


ガスクのヌーもよく見ればただの食肉なのだと僕は思った。僕もトもよく見ればただの食肉なのだと思い、僕は寂しさを感じる。僕らは残った角や骨をイリペジオの砂に埋めて小さな毛布に包まり身を寄せ合って眠った。これから覚えきれないほどのガスクを殺しその肉を喰らうのだろうと思った。「これから覚えきれないほどのガスクを殺してその肉を喰らうのだろうか」トが言った。「ねえ、聞いているの」僕は眠っていることにした。「これから覚えきれないほどのガスクを殺してそれでも行くんだろうか」僕は心の中でそうだと言った。言ったのかわからない。気が付いたときには朝だった。


ゲラーには誰もいない。今はリネを抜け出して野生化したガスクたちと、あちこちに水溜りがあるだけだ。僕らは歩き続け、リネは僕らから離れていった。


赤茶色の砂は風に吹かれても煙を作らずに平地を保っている。音も立てずに僕らは歩き続け、足が痛くて泣きそうになったころにトが言った。「ゲラーでは砂が生き物をころすんだ」


思い出したようにトが言った。僕は恐ろしくなり彼の近くへ寄った。トの目の先にはイリペジオの砂とガスクの死体があった。僕はガスクの赤い血や肉が少しずつ減ってゆくのを見た。イリペジオの砂がときどき紫色に発光するのを見た。ガスクのヌーがイリペジオの発光色が恐ろしいと言ったのを思い出した。トが言った。「イリペジオの発光色が恐ろしいと言っていた」ガスクの血や肉は赤かったがもうすでに死んでいた。「病気や年寄りのガスクを砂が殺して食べるんだ。イリペジオの砂は死んだガスクを食べて大きくなる」


「僕たちは大丈夫だろうか」「わからない」僕はもう一つ聞いた。「ガスクは何を食べているんだろう」「ガスクだよ」僕は驚いた。「ゲラーのガスクは仲間を喰らって生きるんだ」


いつか全てのガスクが死んでしまうだろうと僕は思った。僕らは歩き続けた。一人のガスクに出会った。「ここにくる途中砂に食われる死体を見たね。血や肉を食われてまた砂が増えるんだ」ガスクはガスクのヌーのように僕らを警戒しなかった。ガスクは小さな声で僕らに言った。「ここにくる途中砂に食われる死体を見たね。噛まれたって言ってたんだ。噛まれただけだったんだよ。死んでいたのは私の兄妹だ。血や肉を食われてまた砂が増える」


僕は何に噛まれたのかが気になった。僕が訊く前にトが言った「なにに噛まれたの」「テンベルニウス」小さなガスクはテヌーを回しながら僕らの周りを徘徊していた。僕はテンベルニウスのことが知りたかった。「大丈夫だよ。テンベルニウスに噛まれても人は死なない」「僕たちはテンジリャアだ」ガスクはテヌーを回すのを止めて僕らを見た。「大丈夫だよ。テンジリャアも死なない。ガスク達だってテンベルニウスに噛まれても死なない」小さなガスクは大きな瞳を僕に向けた。回すのを我慢するみたいにときどきテヌーを揺さぶり黒く濡れた瞳を僕から離さなかった。


「私と同じ病気で死んだんだよ。体中に苔が生える病気だ」「お前ももうすぐ死ぬの」「うん。もうすぐ死ぬ」小さなガスクはトといった。僕らはガスクのトを連れて歩き続けた。


ガスクのトには角がなかった。僕はガスクのヌーがイリペジオの発光色が怖いと言ったのを思い出した。僕は「ガスクはみんな角がないの」と言い、トは「ガスクはみんな角がないの」と言った。「ないのもいる」ガスクのトはそう答えて突然僕にぶつかってきた。僕は死んだ。

(つづく)