僕はトを殺した。彼を殺して彼の持っていたものを奪って彼の肉を喰らった。

彼が僕にしたのと同じように。

僕のこころはいつのまにかトのものであった。

僕の肉体は死に、僕はトになった。トが僕だ。

そして僕は、トを殺した。彼が、僕を騙し、自分の利のために僕を傷つけたように、

僕はトを殺して彼の持っていたものを奪い彼の肉を喰らった。

死んだトは僕の記憶となり、僕の血や肉となった。

僕はゲラーでたくさんのガスクやテンジャリャアに会い、

何人かのガスクやテンジャリャアは僕にトのことを訪ね、

そのたびに僕は、世界でただ一つ僕と同じ人工知能からつくられたテンジャリャアのトのことを話して聞かせた。

僕とトがときどき同じことを考えて、同じことを言ったりすること、

僕と一緒にリネコートから逃げ出したのは彼だけだったこと、

ときどきトが僕だと思うことがあることなど。

僕はトを殺し、また、彼の防寒着を奪い、彼のナイフを使って、何人ものガスクやテンジャリャアを殺した。

彼らからものを奪い、自分のものにした。

生き物を殺しながら僕はゲラーを渡った。

街にはたくさんのテンジャリャアがいた。僕は何日もそこで過ごし、与えられるものを食べ、

布団の中で眠った。

僕は街で365と出合った。リサネイロからきた365は僕に興味を持ち、僕はリネのことを話した。

リネの研究所のこと、リネコートに並んだ27つのトーストのこと、その3つを僕たちが壊したこと、トと二人でガスクを歩いたこと、

彼を殺して食べたこと、生きるためにガスクやテンジャリャアを殺して食べたこと、

僕は話したが、365は相手にしなかった。

街で眠るあいだ僕は常にリネのことを想像し、リネのリネコートから飛び立つ27つのトーストは、僕の殺したガスクや、テンジャリャアや、トの姿に見えた。

僕は街で眠るあいだ常に夢を見て、夢の中で僕は人に出会い、はなし、それからそのひとを殺してその肉を喰らった。

僕は船に乗った。リネのトーストが発射される目的地は船を使うと街から一日で着いた。

なんども想像した街の景色は実物と変わらなかった。トーストが落ちる様や人々が逃げる様を僕は想像した。

僕は何のために逃げてきたのだろうと思い、トーストが落ちることを伝えようと都庁に手紙を書いた。

僕は手紙を持ったまま街を歩き、幸せそうなひとや不幸せそうなひとを見て、僕は何のためにリネの研究所から逃げてきたのだろうと思い、

まずしい人々やゆうふくな人々を見て、はやく手紙を届けようと思ったが、やはり街を歩いた。

僕はバスに乗り、案内板を見て、今夜泊まる場所を探し、一軒の宿で炊事の仕事をすることになった。

宿は広く、僕には想像も付かなかった。玄関を過ぎ、廊下へ行くと、

沢山の扉や部屋や廊下があり、沢山の働いている人や、泊まっている人がいた。

どうしていいかわからずうろうろしているとアラィ(僕には正確に発音できない)が遠くから怒鳴った。

「何してんだよ」

沢山の扉や部屋や廊下があり、どこから声がしたかわからなかった。

アラィは僕の見える場所まで来てもう一度同じことを言った。

僕は「どこへいけばいいかわからないんです」と言い、炊事の仕事かと聞かれ、炊事の仕事だと答えた。

アラィは僕を扉の前まで連れて「ここだ」と言った。少し開いた扉の隙間から部屋と部屋にいる男たちが見えた。

僕はありがとうと言おうとしたが、すべてのことがこわかった。僕は暫く黙っていた。

「ヤスンに訊けばいい、はじめてだといって」アラィはそう言ってどこかへ消えた。

僕は扉を開けてヤスンという男にはじめてだからどうすればいいか教えてほしいと言った。

男達は僕のことで少し盛り上がり、僕の服を脱がせ、炊事用のものを着せた。

僕の仕事は巨大な鍋の中を巨大な棒でかき混ぜるというものだった。

巨大な鍋の中には宿の客が食べる料理が入っていた。

赤い肉や植物を見るたびに僕は眩暈を覚え、トのことを考えると心臓に電気が走った。

僕は眼をつぶって棒をかき混ぜ、ときどき昨日食べたクリームシチューを吐き出しそうになった。

宿で働くひとはみな同じ部屋で眠ったが、僕はひとりで眠った。

部屋はアラィが用意してくれた。

アラィは自分が人間とテンジャリャアの混血だと言った。

街に住む人間の半分が少なくとも混血であることを僕は知らなかった。

僕はトーストのことを恐怖しながら眠り、呻きながら目を覚ました。

まだ誰も起きていなかった。僕は着替え、外の見える場所へ行き、

騒がしくなるまでそこで夜が終わるのを眺めた。

僕はゲラーで見た景色を思い出した。空は半分に割れ、

大地がイリペジオの紫色に染まってゆくあの景色を思い出した。

ガスクのヌーがイリペジオの発光色がおそろしいと言ったのを思い出した。

宿の客が全て朝食を摂り終わると宿で働くみんなは朝食を食べに食堂へ行った。

僕は持っている硬貨で何が買えるかを確認したが、なにも買わなかった。

とてもお腹がすいていたが、すべてのことがこわかった。

僕は時間を潰すためにただ食堂を歩き回り、目立たないように品定めするふりをした。

人が減るとそれも難しくなった。しかし、部屋に戻ってまた外を眺める気にはなれなかった。

僕は仕事を教えてくれたヤスンを見つけ、ヤスンが見たことのある男達と座っているのを見て、

そのテーブルへ近づいた。テーブルには大きさ皿がいくつかあり、その一つにはガスクの身体の一部があり、

大量に盛られたそれにほとんど誰も手をつけなかった。

僕は「おはよう」と言い、それから誰も手をつけない皿から一つとって食べ、街で食べるガスクはまずいな、と、思ったか、言ったか、わからない。

誰かが「きみは苦手じゃないんだね」という趣旨のことを言い、僕は不思議に思ったが、他に話すことがないのでテーブルを離れた。

僕は一歩進み、2歩進み、頭から何かが抜けていくのを感じた。

僕は自分がガスクの肉を喰らったことに気付き、愕然として震える足を抑えながら

食堂で一番込んでいるカウンターのところへ向かい、

一番左側の席に崩れるように座って「きつねうどん」と言った。

声は震えていなかったがうどん職人に聞こえなかったので3度言いなおす必要があった。

僕の身体はわけもわからず震えだし、心臓が凍えるようにさむく、顔は硬直して唇も動かなくなった。

どんぶりときつねうどんを受け取ると、僕はそれを食べようとしたが、箸がないことに気付き、箸を取ろうとして箸置きを倒しそうになり、

こしょうを取ろうとしてこしょうを倒し、それを拾おうとしてどんぶりが倒れた。

きつねうどんがカウンターにこぼれ、汁は僕の服にかかり、僕は隣の人やうどん職人にすみませんすみませんと謝って、

硬貨をカウンターに置き立ち上がった。硬貨が足りないことに気付いてポケットを探ったが見つからず、

ようやく見つけて、見つけたものを全部床に落とした。うどん職人は困った顔でどんぶりを洗い、隣の人は迷惑そうにうどんを食べ、

うどん見習いが苦しそうにカウンターを拭き、食堂にいたたくさんの人が僕を見ていた。

僕は床に落ちたものから、何枚かを拾ってカウンターに置き、置いたものをうどん見習いがまた落としたが、

気付かないふりをして、食堂から立ち去った。どんなものも目に入らず、どんな音も耳に入らず、

ただ僕は僕の食べたガスクたちのことを思い出し、それからガスクのヌーがイリペジオの発光色がおそろしいと言っていたのを思い出て、廊下に立ち止まった。

僕はイリペジオの発光色がおそろしいと言ったガスクの気持ちを考えながら、涙が鼻の先へ上がっていくのを感じ取り、

濡れた服をどうしようかと考えて、それがトのマントであることに気が付いた。

きつねうどんの汁がこぼれて濡れた服が殺して奪ったトのマントであることに気が付いて僕は、目が熱くなるのを感じ取り、濡れた服を抱きながら自分の部屋へ飛び込んで、

手紙を見つけた。

僕が都庁へ宛てて書いた手紙があった。僕は封を開け、広げ、一文字読んで、破って、破ってからセロハンテープを探し、見つからず、部屋の入り口にいたアラィに気付いた。

「どうした」とアラィが訊き、僕は「セロハンテープがほしいんです」と言った。セロハンテープがいるんです。

僕は自分が泣いていることにも気付かず「来て」と言われ足が震えているのはそう感じるだけで誰にも気付かれていないと思い込んだ。

彼女は僕を物置まで連れて行ってセロハンテープを渡した。

僕は「ありがとう」と言う気が最初からなかった。セロハンテープを受け取ると、涙は止まらなくなり、

鼻水と混ざってグジョグジョの液体がトから奪ったマントにしみこんだ。

しみこまなかった分が手紙に落ちて手紙が鼻水と涙の混ざったグジョグジョの液体でなにも読めなくなった。

「どうしたんだ」とアラィが訊いた。

「こわいんです」僕はずっと怯えている。今も。

イリペジオの紫色の砂に、あのリネコートに並んだ27つのトーストたちに、あのトーストたちが噴煙を巻き上げながら飛んで行きこの街へ落ちていく光景が、

いつだって僕の頭の中に存在している。

「僕は、リネの研究所にいました。逃げ出してきたんです。友達も一緒でした」

僕は、話した。

涙がとめどなく溢れてきて、手紙だったものは鼻水と涙の混ざったグジョグジョでよくわからないものにかわった。

それでも僕は話した。

「リネには20本のトーストが立っていました。人を殺す道具です」

リネにいたこと、リネで起きたこと、トと一緒に逃げ出したこと、逃げ出すとき丘の上からトーストを見たこと、それから毎晩同じ夢を見たこと、ガスクのヌーに出会ったこと、

、ガスクのヌーがイリペジオの発光色が恐ろしいと言ったこと、ガスクのヌーを殺してその肉を喰らったこと、ガスクのヌーが死ぬ前にイリペジオの発光色が恐ろしいと言ったこと、

トと僕が同じ人工知能から出来ていてときどき同じことを考えたり同じことを言ったりすること、

砂に食べられる死体を見たこと、ガスクのトに出合ったこと、ガスクのトが好きになってずっと一緒にいたいと思ったこと、

ガスクのトが僕に食べろと言ったこと、その理由を聞いたこと、ガスクのトが僕の前で死んでいったこと、

トが僕を騙したこと、僕がトを殺したこと、トを殺して喰らったこと、トからいろいろなものをうばったこと、

僕は話した。

たくさんのテンジャリヤアたちやガスクたちを殺してその肉を喰らったこと。

何日もの夜イリペジオの砂に抱かれて眠ったこと。

トを殺してその肉を喰らっても僕は泣くことができなかったこと。

夢中になって僕は話し続けた。

僕が泣き始めてもアラィは何も言わずに見ていた。

「僕の胸へ悪夢を生み出す因子の、

最も具体的存在感を可能な限り記憶しようと励み、

そうすることで、のちに僕の知らないところで進む時限装置の秒読みを、

可能な限り長時間自分の知るところで聞こうという、

そういった目論みによって僕は、あの、立木のようなトーストたちを、

見下ろしていたんです。そのときに、トが「こわいよ」って言ったんです。

なにがこわいと言ったのかわかりません。だけどたぶん、同じだと思うんです。

ガスクのヌーが、イリペジオの発光を見ながら、イリペジオの発光色が恐ろしいと言った、

そのことと、同じだと思うんです。同じことだと思うんです。あの、美しい白角が、紫色に染まっていく様を、

僕はいまでも覚えています……僕は……」

「僕は、僕は、あ、……」

そうだったんだ、とアラィは言ったが、うつむいていた僕には彼女がどこに座ってどんな顔で言ったのかわからなかった。

「そうだったんだ」

その一言に僕は許された。

全ての憎しみが僕の中から消滅し、僕の殺したものは復讐を止め、

27つのトーストたちを忘れることができた。

僕は大声を上げて泣き、

しばらくの間そうしていた。

ガスク

リネコートに牧畜として連れて来られた一角獣は、もとは人間だった。

彼らは人間のことばを失い、人間であることを忘れ、美しい毛並みと尖った角を持っている。

リネコートを抜け出した幸運な何頭かのガスクたちは、ゲラーの雨水と僅かな食料、死んだガスク、あるいは稀に輸送船の落とした食料を食べながら

ゲラーで暮らしている。彼らのうち何頭かは人間のことばを覚え、独自の文化ともいえる倫理や習慣を作り上げた。

養殖のガスクは普通1000年以上生きるが、イリペジオの砂に蝕まれながら生きるゲラーのガスクたちは人間よりも短命であるってラーメン天使が言ってたよ。